↓記事はクリックで拡大します。
昭和37(1962)年9月28日(金) 南日本新聞 |
「新設高校」はなぜもめた? “鶴丸運動場”に悩む 調整に手間どった県当局 ■鹿児島県教委は二十七日、新設高校を現在の鶴丸高校につくり、鶴丸高校は旧一中跡の警察学校に移転することを決定した。池江鶴丸高校長の自殺という事件までひきおこしたこの暗い学校騒動も、ようやく解決のメドがついた。しかし、なぜ新設高校問題はこんなにまでもめたのか。その経過をたどってみよう。 県行政のあり方 ■新設高校問題が難航したのは、まず県の態度がにえきらなかったからだといえる。終戦っ子の大量入学に対処するため、鹿県教委が県立普通高校の新設を明らかにしたのはことし一月十六日。それから八ヵ月余りも“新設高校誕生”の陣痛がつづいたわけだ。 ■県教委は当初から敷き地を旧一中跡に内定、二月には知事に対し警察学校の移転交渉を要請した。その理由は(1)新設高校は高校急増対策の一環として設置するが、鶴丸、甲南、玉竜と同様、学校の内容も充実させる(2)旧一中跡は教育的な環境もよく、学校敷き地として最適である―というもの。 知事もこの方針に一応賛成したが「一中跡につくればもめる恐れもある」として、下伊敷町の旧練兵場跡の県有地(三万七百八十九平方メートル)を候補地にあげたこともある。 ■しかし、県教委は「伊敷は工業高、女子高などが隣接しており、高校の配置からいってもまずい」と、教育的立ち場から旧一中跡の敷き地を強くおした。この知事、県教委の意見調整が手間どり、県が県警本部に対して警察学校の移転交渉をはじめたのは五月。本格的な交渉は八月からで、警察学校の移転先と、移転校舎の県負担をめぐってまたもめた。 ■県教委も知事と同様、一中跡に新設高校をつくれば、もめるだろうと予想、内々に教育関係者の意見を打診していた。「敷き地は一中跡」と聞かされて、まず鶴丸高のPTAから異論が出た。同PTAは五月十九日にPTA総会を開き「一中跡のグラウンドは鶴丸高校が使用し、管理しているから、この点を考慮してほしい」と陳情した。 鶴丸PTAの主張 ■鶴丸高校の運動場は九千五百三十平方メートル(文部省基準一万五千平方メートル)で狭いため、昭和二十四年から一中跡グラウンドをサッカー、陸上、ラグビー、ソフトボールなど正規の授業に三百六十二時間使用しており、しかも管理をつづけてきた。もし、新設高校ができれば、鶴丸高校は運動場を奪われることになり、学校運営にも支障をきたす。また同グラウンドは新設高校と共同できない。なぜなら、両校の生徒の自発的なクラブ活動がかち合うのでトラブルをおこしやすい―というもの。 ■こうして新設高校問題は鶴丸高校の運動場をどうするかにしぼられてきた。県教委は鶴丸高関係者とその解決策を検討した結果、出てきたのが「一中跡の新設高を鶴丸高の西教場にする」という案だった。 これなら一中跡グラウンドを両教場が共用できる。しかし、この案にこんどは甲南高校側が反対した。 甲南高校の動き ■「新設高校が鶴丸高校の西教場になれば、戦後、学制改革によって打ちだされた男女共学の基本線がくずれる恐れがあるので、教場案に反対する」―九月八日に開かれた甲南および二中、二高女の合同同窓会はこう決議した。つまり、教場案では「自然に男女別学になるというのだ。そして「私たちは決して旧一中と二中、一高女と二高女の対立感情で反対しているのではない」とつけ加えた。結局鶴丸高も甲南高も一中跡に新設高校ができれば、進学率のよかった両校は新設高校に押されて先細りになるかも知れぬといった共通の不安をもっていたともいえる。 ■この紛糾を打開するため、県教育庁関係者は九月十二日、鹿児島寮に池江(鶴丸)野村(甲南)池畑(玉竜)篠崎(谷山)の各高校長を招き、事態収拾をはかった。このとき、池江校長は「鶴丸高は建学(男女共学)の方針をつらぬく。 やむをえず一中跡のグラウンドは放棄する。そのかわり、七高グラウンドを使用する考え方もある」と提案、事態は急速に好転したとみられた。しかし、その夜、池江校長はナゾを残したまま自殺した。 ■この池江校長の犠牲を無にするなと、二十六日、高島屋ホールで旧一中同窓会が開かれた。しかしこの席上では「鶴丸高が一中の系譜をつぐものであることは認めるしかし、旧制中学の時代はすでに終わった。旧一中同窓会が動くことは無用のマサツを起こす」という慎重論が強かった。 新設高校に協力を ■新設高校問題はこうして二転、三転・・・・・・。 ようやく一中跡に鶴丸高、鶴丸高に新設高という新しい案を生み出して、一応落着した。なぜ、こういう案が出たのだろう。池江校長が示した“旧七高グラウンドの使用”が不可能であることがわかったからだ。このグラウンドは国有地で、しかも鹿大生がサッカーや野球の練習に使っている。県教委はここでまた行き詰まった。「それなら、いっそ、鶴丸を一中跡に移したら解決する。新設高校は一学年の定員を四百五十人から四百人に減らしたら、現在の鶴丸高校にけっこう収容できる」と断をくだした。 ■このため、現在の鶴丸高校の校舎の一部を移転して、グラウンド九千五百三十平方メートルの有効面積を拡張する。拡張後は長さ百二十二メートル、幅七十七メートルのスペースがとれるので、サッカー、ラグビーなどの正規の授業が可能になる。玉竜高八千二百六十九平方メートル、鹿商高六千六百九十九平方メートルのグラウンドよりも広くなるわけ。校地に隣接している私有地二千百七十八平方メートルも買収する。現在の鶴丸高校の校舎は三十五年から三年がかりで一千三百三万円をかけて改築しており、昨年五月には二千三百万円をかけた県下一の学校体育館が完成した。県は新設高校のために机、イスなど備品いっさいを新しく購入するという。 ■ただ気がかりなのは一年間、仮校舎で勉強する新一年生だ。県は鶴丸高校の移転校舎建築を急ぎ、一日も早く鶴丸高校の現校舎を新設高校に明け渡すよう努力する必要がある。ともかく、県当局者は「最初に広く世論を聞いていないから、あとになって、いつももたつくのだ」という批判の声を聞くべきだろう。 |