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昭和37(1962)年9月14日(金)

南日本新聞

教育界の反省迫る  池江鶴丸高校長の死

 

鶴丸高校の池江平校長の自殺は鹿児島県の教育界に大きなショックと反省を与えた。来春、鹿児島市の旧一中跡に開校される新設高校問題が各関係者の間で異常なほどこじれ、立ち場に窮した池江校長を自殺へ追い込んだ―と、みられているからだ。

 

この新設高校問題は敷き地が旧一中跡だけに当然もめるだろうと、当初から予想されていた。鶴丸高PTAはさる五月、県教委に対し「新設高校を鶴丸の西教場とし、現在の鶴丸高を東教場にしてほしい」と陳情したその理由は、第一に一中跡に鶴丸高とは別個の新設高校をつくると、運動場を奪われてしまうということ。鶴丸の校庭はわずか八千二百五十平方メートルしかなく男子生徒の競技ができない。そのため、鶴丸高は旧一中跡のグラウンド一万五千五百平方メートルを管理しており、同校生徒が野球やサッカー、ラグビーなどに使っていた。第二に、もし旧一中に新設高校ができれば、鶴丸高の前身は旧一中でなくなり、長い伝統が失われてしまうという理由もあった。

 

ところが、こうした鶴丸高関係者の動きに対して、甲南高および旧二中、二高女の同窓生が対の声をあげた。「新設高校を鶴丸高の教場にすると、旧一中と旧一高女が復活する恐があり、戦後、学制改革によってできた男女共学の路線がくずれる可能性が強い」というわけだ。この双方の対立が、結果的には関係校長を突き上げることになり、とくに池江校長はこの問題と高血圧症に悩み、数日前から睡眠薬を常用するほどのノイローゼ気味だったという。

 

県当局も、こうした動きに対して、新設高校の“性格”を決めかねていた。だが、十二日県教庁関係者は池江校長と野村(甲南)池畑(玉竜)篠崎(谷山)の各高校長をはじめ、柳新設高校準備委員長らを招き意見調整を行なった。この結果「新設高校を独立校にし、各高校とも男女共学の線はくずさない」との意見がまとまり、また鶴丸高のグラウンドを広げるために校舎を部移転させたらよい―という案も出て、この新設高校騒動は一応解決のメドがついたといれる。席上、池江校長はこの話し合いに満足してか、えがおをみせていたという。

 

しかし、新設高校問題の解決があまりにもおそすぎた。 池江校長が受けた“心の傷”はもはや取り返すことができないほど根深かったのではなかろうか。県や県教委の態度があまり慎重すぎて、新設高校問題をかえってこじらせた結果になりはしなかったか。また、鶴丸、甲南高なのPTAや同窓会がこの問題に介入しすぎたとはいえないだろうか。このさい、セクト主義を捨ててすっきりした形で新設高校問題が早く解決するよう、関係者みんなが反省すべきだろう。池江校長の“犠牲”を無駄にしないためにも・・・。


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