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昭和37(1962)年2月22日(木) 南日本新聞 |
二高校の新設決める 鹿児島市と宮之城 新学期から着工
“終戦っ子”の大量高校入学に対処するため、鹿児島県教委は来年四月、鹿児島市と宮之城町に普通高校を二校新築することを決定した。 敷き地には鹿児島市薬師町の旧一中跡(現警察学校)と宮之城町屋地がほぼ内定しており、新学期から着工する。
県教委は高校生急増対策として、三十七年度から五年計画で高校の拡充計画をすすめており、初年度は高校の募集定員を千三百十人ふゃすことになった しかし、来年三月の中学卒業生は戦後最高の五万六千二百三十人ていどになり、高校進学希望者は三万五百人を越えそう。現在の公立高校一万七千二百五十人、私立高校五千五百人の募集定員では約七千人が“高校の門”からはみだす。県教委ではこの中学浪人の大量出現を防ぐために各校の募集定員をふやすと共に、高校二校の新設に踏み切ったもの。
鹿児島市の新設高校は一学年九学級の四百五十人を募集、鶴丸、甲南、玉龍と肩が並べられるよう教授陣や施設を充実させる。工事は来年度から二カ年計画で一億四千八百万円をかけ、鉄筋三階七千二百十七平方メートルの校舎を建築する予定だが、初年度は四千六百万円で本館と普通教室十五室(二千四百八十平方メートル)をつくる。敷き地は県有地の旧一中跡、三万一千三百五十平方メートルを確保するよう知事とも折衝中。だが現在、同地には警察学校があるので、これをどこに移転させるかが問題になっている。 この警察学校の移転問題がこじれた場合は、新設高校を下伊敷町の練兵場跡(県有地)につくる。
宮之城町に新設される普通高校は現在の宮之城高校の普通科を農業科から分離、独立させるもの。来年度から三カ年計画で九千八百五十六万円をかけ、鉄筋三階四千八百十一平方メートルの校舎をつくる。 学校規模は一学年六学級の三百人だが初年度は四千四百万円で本館はじめ十二学級の教室を建築する。敷き地はすでに宮之城町が同町屋地の約三万三千平方メートルを買収している。 |