鹿児島県立鶴丸高等学校創立百周年記念誌

■甲鶴戦のことなど

○○○ ○ (在任昭和四一年~五〇年)

 

このテーマで書くようにとの指示を受けました。甲鶴戦発足当時は鶴丸にいて、今また甲南で第二十回記念大会から五回もかかわっているためかと思い、お受けしました。ただ、発足時のことは記録がないので、記憶によることをお許しください。

 

最初に特筆すべきこととして、当時の鶴丸に高崎能弘教頭、甲南に村野守治校長がおられたことを挙げなければなりません。御両名とも、それぞれの卒業生であり、かつて運動部の顧問を経験されて深い御理解をお持ちであって、甲鶴戦創設に意気投合されたものと推察します。水面下の秘話は、村野先生なき今、高崎先生の胸中にあるのみです。

 

第一回の開催は昭和四六年七月十五日でした。昭和四十年代前半における、本県高校教育界のうち普通科高校では、科学技術の進歩、高度経済成長等を背景に、本人や父母、地域の大学進学熱の高まりにこたえることが、重要な使命でした。それも、国公立大へ現役で、かつ理系重視の風潮が強く、実績の向上に各高校が真剣に努力と工夫を重ねていました。

 

他方、当時の大学紛争が極まって、昭和四四年三月の東大入試中止という事態に至りました。その流れは、全国的に高校にも及び、四十年代の中ごろから、教師と一部生徒の対立という不幸な状況が潜在するようになりました。生徒諸君が様々な問題意識をもち、独自の学習で理論を構築してくると、真剣に対応するのが教師というものです。学校内外で、すでに価値観の多様化は進んでいたのです。

 

本県では、全国相手の大学進学で実績も上げ、自信を深めつつありました。改めて教育の在り方を問う余裕もあり、一方ではその必要に迫られてもいました。そういう状況の中で、先生方のスポーツ活動への理解も深まっていきました。そのことと軌を一にして甲鶴戦が生まれた、と位置づけておきます。

 

昭和四十年代の前半、私は三十代の前半で、鶴丸の野球部の監督でした。部員数も少なく、授業中に部員が居眠りしていたといっては私が叱られ、宿題を怠けたといっては私が叱られました。それでも、部員も監督も一中以来の野球部を今つぶしてなるものかと必死でした。鶴丸は勉強するところだが、勉強だけをするところではない、鴨池の付き合いをやめたらおしまいだ、と暗くなったマウンドに集まって、確認し合ったものでした。

 

四十年代の後半になって、私は監督を退き、甲鶴戦が始まり、学園紛争は沈静化していきました。先生方の、部活動への理解も一段と進んだ中での、象徴的な出来事が池之上投手の出現でした。その活躍が高く評価され、文武両道が教育の王道として、広く認知されるようになりました。 若い監督が、私のように叱られることもない時代に変わっていったのです。 甲鶴戦の創設は本県高校教育の歴史的転向点に位置すると見ておきたいのです。

 

さて、公式記録にない話を二、三。なぜ名称は甲鶴戦かとよく聞かれます。当初、様々な議論がありました。その中で忘れられない意見を一つ。何もかも鶴丸から先でなくていいではないか。カッコウ戦はカッコー悪い。

 

第一回から第三回までは午後二時から、第四回は午後一時から、その後第十回を除き、第十九回までは午前十一時過ぎから、第二十回記念大会以降は終日開催となりました。ここに時間のことを記す理由は、両校生徒会執行部の長年の願いは、時間と種目の拡大であったからです。

 

それが右のように実現した歴史には意味があると思うからです。いつの時期も、生徒会係の先生方は、これを抑制するのに多大の勢力を費やされました。現在の両校の教師も生徒も、以上の経緯とその意味をよく考えてみてほしいのです。文武両道は、いろいろな意味で、けわしい道のりです。今日では、若者の真の教育に文武両道の鍛錬が不可欠と認識されてきてはいますが・・・・・。

 

典型的な質問の中に、これまで何勝何敗かというのがあります。私も甲南の資料で少しばかり調べましたが、資料の欠落もあり、資料による差異もあって、確定できません。確定しないことが甲鶴戦の本旨に最もふさわしいと思います。甲鶴戦の正式名称は「甲南・鶴丸スポーツ交歓会」です。これは第九回大会で定められています。「交歓」ですから、互いにうちとけて楽しみ、よろこびを交わすことを目指しています。両校選手、応援団が総力を尽くして戦いながら、勝敗をどう超越するかという哲学の命題がここにあります。なお、準優勝校用に作られた楯に、「若き日の友情は勝敗と学校を超えて K」と刻んであり、「昭和60年4月26日」とあります。平成五年度の第二三回大会では、一鶴建友会、二甲建築会から、立派な優勝旗が寄贈されました。甲鶴戦の趣旨に則って、両校の一層の親睦と発展への願いがこめられて実現したことを、関係者の一人として申し添えます。

 

■編著者 鶴丸高等学校創立百周年記念誌編集委員会

■発 行 鶴丸高等学校創立百周年記念事業委員会

■出版年 平成7(1995)年2月10日


リンク

甲南同窓会+サラト(平成18=2006)
甲南同窓会+サラト(平成18=2006)
鶴丸36期同窓会+山形屋(平成27=2015)
鶴丸36期同窓会+山形屋(平成27=2015)