解説

本書の内容は、光文社新書「名門高校人脈」と同じく、関係機関等への取材や各種文献の調査で構成されたものではなく、インターネット上で知りえた情報(特に某フリー百科事典)を根拠としているほか、写真週刊誌レベルのゴシップネタが大半を占め、悪意ある記述や事実誤認、文法上の誤りも随所に見られます。

別冊宝島1510号 ニッポンの名門高校102

大田弘子現経済財政担当大臣の母校

鹿児島県立鶴丸高等学校

 

創立/一八九四(明治二七)年

旧校名/県立第一鹿児島中学校・県立第一高等女学校

 

政官界への進出者多し! マスコミにも人材を輩出

 

鹿児島市中心部からわずかに西寄り、校舎からは桜島も望める丘に建つ鶴丸高等学校は、一八九四(明治二七)年創立の旧制県立第一鹿児 島中学校と、一九〇二(明治三五)年創立の旧制県立第一高等女学校が合併して、一九四九(昭和二四)年に誕生した。

 

鹿児島県を代表する公立高校として名高い同校は、正門入ってすぐの場所には同校の建学の精神の一つ「好学愛知」、中庭には校是である「For Others」の語を記した碑が建つ。また正門の出入りの際、校舎に向かって一礼する教職員もいるなど、薩摩隼人とも呼ばれた鹿児島らしい気風に充ち満ちた印象の学校である。

 

校名の「鶴丸」は、鹿児島城の異名「鶴丸城」に由来する。戦後の学制改革にともなって校名を変更する際には、「鹿児島高校」「鹿児島第一高校」「造士館高校」などいくつかの候補が挙げられたが、結局この名 に落ち着いた。

 

これらの候補のうち「造士館」とは一七七三(安永二)年に八代藩主の島津重豪によって創建された薩摩藩校の名称である。本来であれば、旧制一中の流れである本校が「造士館」の名を冠しても不思議ではないが、一九〇一(明治三四)年に創設された旧制第七高等学校(現・鹿児島大学)が、ナンバースクールでありながら正式名称を「第七高等学校 造士館」と藩校名を付加する異例の校名となったこと、また本校の創立に先立ち、一八八四(明治一七)年に旧藩主・島津家の肝いりで「鹿児島県立中学造士館」が設立されていたことなどが遠因になっていると考えられる。

 

この「中学造士館」は県立とはいうものの、実質的には島津家の私財で設立運営されていた私立学校といっていい存在であり、その後複雑な変遷を経て、その血脈は一九〇六(明治三九)年創立の県立鹿児島第二中学校(現・県立甲南高校)に受け継がれた。現在、鶴丸高校と甲南高校に鹿児島中央高校(一九六三年設立)を加えて、鹿児島の県立高校ご三家と呼ばれている。

(後略)

■著作者 大東陽海 井上雄之介

■出版社 宝島社

■出版年 平成20(2008)年4月6日


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