解説 |
本書の内容は、著作者が実際に関係機関等や各種文献で裏取りや確認をしたものではなく、インターネット上で知りえた情報(特に某フリー百科事典)を根拠としているために、下部の引用箇所も含め全編にわたって事実誤認や曲解で述べられているほか、熟語・慣用句・助詞の誤用があります。 |
名門高校人脈 |
鹿児島は私学のラ・サールが名高いが、県立の雄といえば、1894年創立の旧鹿児島一中=鶴丸高等学校だろう。現校名は旧藩主島津家の居城であった鶴丸城に由来する。しかし、校史を読むだけでは、同じ鹿児島市内の旧二中=甲南高校のほうが古いようにも思う。後述するが、七高(現鹿児島大)との継承関係が混濁しているためである。 1773(安永2)年に聖堂としてまずスタートした藩校造士館は、かつて 8つの官立旧制高校が生まれた際に七高とされたが、わざわざご丁寧 に「第七高等学校造士館」と称していた。それだけ薩摩人には重要な名前なのだ。 (中略) 1901年の七高誕生を機を一にして、県中学造士館の生徒3学年以下を収容し誕生したのが、県立第一中学校分校としての甲南高等学校(正式には第二中と改称した1906年を創立としている)。ちなみにその名は、甲突川の南にあたり、かつ郷土の英雄西郷南洲と大久保甲東を輩出している由緒ある地域として用いられた。しかし、サムライをつくるという「造士館」の名は、進駐軍の覚えめでたくなく、戦後1年は存続 した七高からも外され、その先も継承されなかった。 (中略) 甲南と鶴丸の文武両道のカラーに相違はないが、いろんな局面で競い合いながらも、両校の交流が乏しいのを憂えた教師たちは、71年から毎年4月末に「甲鶴戦」を企画。これは甲南と鶴丸のスポーツによる交歓会だ。09年現在、16競技18種目で鶴丸の19勝15敗とほぼ互角の成 績で、よいライバル関係にあるのがここからも窺える。 (後略) ■著作者 鈴木隆祐 ■出版社 光文社(光文社新書) ■出版年 平成17(2005)年8月17日 |