甲南高校新聞概要 | |||
昭和24(1949)年創刊 ブランケット判(406×505mm) ■昭和二十四年、本校が「甲南」と改名された当時生徒会の一部としてその機関紙を発行していた記者クラブが、生徒会から完全に独立して「甲南新聞社」と呼称されるようになつた。「我が校にも学校新聞が欲しい、我々の校風を、プライドを、そして象徴たるを誇るにたる学校新聞が欲しい」という当時の熱烈たる心意気を持つて誕生したわけである。その後色々な形の編集委員制が設けられたが二十五年度には一箇の文化部所属のクラブとして生徒会の予算を受ける様になつた。然し、これも財政面で圧迫されることが多いというので二十六年度には各クラス一名の委員で構成される委員会制へと体制が変り、予算面もPTAの賛助を得て確立されて、今日に至つている。 ■創刊当時はガリ版刷りで部数も五百部程度であつたが三号になるとタブ型(小型)の機械刷りになり、追つてブランケツト型(一般新聞大)となつた。 【参考】創立五十周年記念誌 |
つるまる概要 |
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昭和33(1958)年創刊 タブロイド判(273×406mm) ■新制高校発足当時、新聞部も作られ活動していたが、しばらくして途絶えてしまい、いわゆる学校新聞「つるまる」発刊は昭和三十三年一月からであった。当初は、「学校新聞」というより、生徒会の広報紙という意味合いが強かったようで、発行所は鶴丸高等学校生徒会、発行人も生徒会長になっている。 【参考】創立百年 |