学校広報媒体として学校新聞、年誌(一時期「卒業記念誌」)などがあるが、それら広報媒体において甲鶴戦はどのように取り扱われているかの比較・考察が今回のテーマである。

まずは学校新聞について。両紙の概要。


「甲南高校新聞」概要

昭和24(1949)年創刊

ブランケット判(406×505mm)

「つるまる」概要

昭和33(1958)年創刊

タブロイド判(273×406mm)


両紙における甲鶴戦の扱いには大きな特徴がある。例として第20回記念大会の記事を挙げる。「つるまる」は結果を淡々と伝えているのに対し、「甲南高校新聞」は一面の半分から三分の二ほどを使って、競技種目ごとに各主将が経過や総括などを詳細に記している。この傾向は平成10年代まで続いたが、平成20年代は「甲南高校新聞」における扱いに変化が見られる。決して一面では扱わず、二面で多くて二段、大抵は二段の半分ほどの記事になった。

かつての両紙における甲鶴戦記事の扱いの大小については、前述のとおり「甲南高校新聞」が一般紙大、「つるまる」はタブロイド判であることから、紙幅の制限が最大の理由であろう。

「甲南高校新聞」における甲鶴戦記事の扱いの縮小化は、発行月の変化(7月→9月下旬)により扱う事象が増えたことや、一般紙同様に文字が大きくなったことなどが原因であろう。

次に年誌について。両誌の概要から。

「甲南」概要 「はろばろと」概要

昭和27(1952)年創刊

第1期(昭和末期まで)

 約60ページ

 文芸作品包含(「文藻」)

 行事は抜粋略記

第2期(平成初期まで)

 約90ページ

 文芸作品を「文芸甲南」として分離

 行事は抜粋略記

第3期(平成10年代以降、現在)

 約180ページ

 各行事を詳細記述(本誌従来比)

※「期」の分類はサイト管理者独自。

昭和59(1984)年創刊

約220~230ページ

創刊以来各行事を詳細記述

両誌における甲鶴戦の扱いは、大きく異なる。

「甲南」の場合、第1期は甲鶴戦が行われていても結果すら載せず、目次の次々ページ「一年間のあゆみ」に「○月△日 鶴丸高との交歓試合」とのみ記され(甲鶴戦開始当初の「勝敗にこだわらない交歓試合」という建前どおりか)、第2期は、甲鶴戦として独立した記事は無く、目次の次々ページ「一年間のあゆみ」に結果のみを記していた。第3期は独立記事として2ページが使われているが、執筆担当教諭が前号を参考として一日の経過や感想を簡単に記述し、2ページの約半分は写真で埋めている。

一方の「はろばろと」における甲鶴戦記事は、創刊号より約6~10ページを割いており、生徒会長(または体育局長)が総括を、競技種目ごとにキャプテンが試合の経過や感想を記すという体裁がとられている。かつての「甲南高校新聞」における甲鶴戦記事(各主将による試合経過・感想の記述)のような扱い(前述)が、学校新聞「つるまる」=タブロイド判という性質上できないので、紙面では結果のみを記し、「年誌」で補完していたのであろう。

結論として、甲南の場合、「甲南高校新聞」での扱いが小さくなり(結果のみ)、「年誌甲南」では年誌担当教諭が前号の文章を真似て「超」概要を記すだけになった。一方の鶴丸は、学校新聞は相変わらず淡々としているが、「はろばろと」は情景が浮かぶほど詳細に記されている。

リンク

甲南同窓会+サラト(平成18=2006)
甲南同窓会+サラト(平成18=2006)
鶴丸36期同窓会+山形屋(平成27=2015)
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