鹿児島県立鶴丸高等学校創立百周年記念誌

■応援歌の制定に関する思い出について書くようにとの要請を頂きましたが、残念ながら具体的な経緯はほとんど覚えておりません。高校二年次か三年次のときだったのでしょうから、二十年程前の出来事です。二十年という時間の距離を実感をもって推し測るべくもなかったその頃の生活の思い出を辿れば、友や教師の面影は心中鮮やかに生き続けているのですが、何故か応援歌については極めて限られた記憶しかありません。あるいは内心気恥ずかしい気持ちがあって思い出さないようにしているうちに忘れてきたのかもしれません。

■わずかに覚えているのは、当時野球部に優れた選手がおられて県大会で相当なところまでいった中で、級友とともに球場で応援したこと、そのような機会に学校をあげて歌えるような応援歌があればよいのではないかと誰かが考えついて歌詞を学内募集することになったのではないかということなどです。

■どうしてその歌詞募集に投稿する気になったのかは忘れてしまいました。あるいは自分が本件発起人の一人であったのではないかとの疑念も胸をよぎりますが、幸か不幸かたかだか二十年前のことながらもはや記憶が薄らいでおり、今では、おそらく、「投稿数が少ないので君も書け」と誰かに促されたため、といったところではなかったかと思われます。結局書くことになり、当時の貧しい言語文化を参照としての起案となりました。

■結果的にそれが採択され、今度は曲付けの募集が行われたのではなかったでしょうか。生徒であったのか教師であったのか、申し訳ないことにそれさえ思い出せませんが、どなたかが作ってくださった最終譜面を見て、自分では楽譜は思いつきもしないので、よく作られるものだなあと感心する一方で何だか不思議な感じがしたことは覚えています。

(後略)

 

(付記)原稿提出後、当時本件に関与され、平成六年度現在鶴丸高校教頭であら れる△△先生より、次のような当時の経緯を御教示賜りましたので、感謝とともに記録として付記させて頂きます。

●応援歌制定は鶴丸高校創立八十周年(一九七四) 記念の生徒会提案であった。なお、同年四月には、八十周年記念式典のほか、山形屋で記念総合作品展、県文化センターで記念音楽演劇発表会が開催された。

●昭和四十六年頃から甲南 ・鶴丸スポーツ交歓会が開かれており、応援歌ニーズが感じられていた。

●八十周年の夏休み前に生徒と職員を対象に歌詞を公募、当時三年生 であった筆者は、同級の□□□□君と協力して作詞し、投稿した。

●十数編の応募があり、生徒・職員の代表者による選考委員会で数回の審議が重ねられ、□□・○○組のものが最優秀として採択された。

●その後、これに曲付けの募集が行われ、十曲前後の応募があり、右選考委員会で二曲に絞り、九月の記念文化祭の際に音楽部による二曲の合唱を全生徒が聴いて一曲を決めることになり、◇◇◇◇◇君の作品が選ばれた。

【出典】

【書  名】鹿児島県立鶴丸高等学校創立百周年記念誌

【編著者】鶴丸高等学校創立百周年記念誌編集委員

【発  行】鶴丸高等学校創立百周年記念事業委員会

【発行年】平成7(1995)年2月10日

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