宮崎県

野球定期戦(泉西戦)

■学校沿革概要

宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校 

 明治32(1899)年 宮崎県立都城中学校

 大正03(1914)年 北諸県郡立都城高等女学校

宮崎県立都城西高等学校

 昭和37(1962)年

 宮崎県立都城都島第二高等学校⇒同年、現校名に改称

■定期戦概要1

第1回開催は昭和41(1966)年6月7日。当時の泉ヶ丘高校教頭が退職するにあたり慰労会が催され、泉ヶ丘と都城西の両校が良きライバルとして互いを意識するようになった背景が語られる中で、対西高野球定期戦の構想が持ち上がった。平成元(1989)年までは年2回、翌年から年1回の実施で、現在は午後から約20の部活動が参加して、運動部の各部対抗戦や文化部の交流行事が行なわれる。

【参考文献】宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校附属中学校「学校だより」(各号)

■定期戦概要2

ライバル都城西高と最も激しく火花を散らすのが、春に都城市営球場で開く野球の定期戦である。 定期戦は昭和四十一年に当時の都城市長・義友会長(都中第十五回卒、故人)が「両校が勉学、スポーツで競い合い、早慶戦のような関係にならないだろうか。」と関係者に働きかけた結果だという。 当初から生徒会主催の行事として、毎年二回、ほとんど土曜日の午後開いていたが、時とともに形を変え、野球以外の競技も加わり、また土曜日の放課後に拘束されることの不満も出はじめる。 平成二年度からは毎年一回、五月の平日に行われるようになり、午前中に野球、午後はサッカー、柔道など十一競技で対抗戦や合同練習を開いている。この定期戦は、両校が体力、知力を磨き上げる上で役立っているのは間違いない。【参考文献】都城泉ヶ丘高校百年史(平成13=2001年)

リンク

甲南同窓会+サラト(平成18=2006)
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鶴丸36期同窓会+山形屋(平成27=2015)
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